今日は、津島市・津島市教育委員会・津島市スポーツ協会が主催する相撲大会が行われました。
1年生2名、2年生2名、3年生4名、4年生1名、5年生2名の計11名が大会にエントリー☆
惜しくも初戦で負けてしまった子も、2回戦で負けてしまった子も、勝ち進んだ子も、みんなよく頑張りました!みんな、素晴らしい取り組みでした。
そして、4年生の子が見事準優勝に輝きました☆彡この相撲大会や相撲練習で得た経験は、とても大きなものになったと思います。また、機会があればぜひ来年もエントリーしてみてくださいね。
そして、相撲にまつわるこんな話を紹介します☆現横綱の白鵬のお話です。
通算戦績1120勝232敗 優勝42回というとてつもない記録を残している大横綱です。しかし、実は入門当時は、ものすごく小柄で絶対に強くなんてなれないと思われていました。その入門する前からのお話です。
大相撲で活躍していた同じモンゴル出身の旭鷲山をたよって、2000年10月25日に6人のモンゴル人と共に来日。しかし、小柄(来日当時62kg)だった白鵬を受け入れてくれる部屋は最後までありませんでした。
そして、帰国が決まり、帰国前日に泣きながら「帰りたくない!」と言う白鵬を哀れんだ旭鷲山
が自らの師匠に相談し、その紹介で宮城野部屋に何とか受け入れてもらうことができました。
しかし、その小柄な体(入門当時の体格は身長175cm、体重68kg)から大きな期待はされず、
将来は髪を結う人としてやっていくしかないだろうと、見切りをつけられている状態でした。
しかし一方で、大きな手足と腰、柔らかい筋肉などから、もしかしたら化けるかもしれないと思った親方は、入門してからの2か月間は稽古をさせず、毎日吐くぐらい食べさせ、牛乳を飲ませました。
2001年3月場所に初土俵を踏みますが、番付に名前が載った翌5月場所は身体が小さく、
3勝4敗の成績で、後の横綱としては異例の序ノ口での負け越しを経験します。
しかし、小柄だった体は、たくさん食べることと熱心な稽古によって大きく成長し続けました。
急激な肉体の成長とともに一気に才能開させ、番付を駆け上がり、先輩力士には、「あの白鵬って子、一晩眠るたびに強くなっている。
2~3年後には相当強くなっていますよ。」と言われるまでになっていました。
その後は、スピード出世。2003年11月に十両昇進。2004年5月に新入幕。
2005年3月に関脇。2006年5月に大関。そして、2007年7月から横綱となりました。
そこから12年もの間、横綱をはりつづけています。
この長期間横綱であり続けていることもすごいことですが、驚くべきは、
横綱になってから約8年間、一度も休んでいなかったことです。
血のにじむような努力があるからこそ、今も大横綱として君臨しています。
今でも一番大切にしているのは、相撲の基礎の基礎の練習である四股(しこ)だそうです。
練習の前に毎日1時間ほど必ず欠かさず行っているそうです。
ちなみに、白鵬にとって、1番嫌いな練習はその四股だそうです。
人間何でも実現できる!どんな困難も諦めずに努力すれば達成できる!
そんな勇気をもらう白鵬さんのお話だと思います。